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La ville des pirates 海賊の町

フランス映画 (1983)

撮影時9-10才のメルヴィル・プポー(Melvil Poupaud)が初めて映画に出演した作品。主演のアンヌ・アルヴァロ(Anne Alvaro)に次ぐ重要な少年役(マロ、あるいは、ドン・セバスチャン)を演じている。このサイトのトップページの写真群の1ページ目で大きく使っているくらい、すべての子役の中で最も可愛い少年だ。2012年のフランス映画祭で上映されたそうだが、これほど難解な映画が、一瞬にしか出て来ない英語字幕で理解できた観客はゼロだったと確信を持って言える。それは、母国語のフランス人が見ても、英語字幕をすらすら読めるアメリカ人が見ても、映画の内容を理解して書いた記事を見たことがないからである。なお、映画の題名は直訳すれば『海賊の町』となるが、実際には町なるものは一切出てこない。幽霊の出そうな小さな古城があるだけだ。劇中何度も使われる『海賊の島』の方が分かりやすい。

この映画は、信頼できる評論家の言葉を借りると、幻想的かつ神秘的で、予言的な夢と殺人などをミックスし、きわめてシュールレアリズム的手法で映像化したもの、となる。女主人公のイシドールは、シェイクスピアの『ハムレット』のオフェーリア、古代ヘロデ王の娘サロメ、ラシーヌの悲劇『ベレニス』の女王ベレニスを足して3で割ったようなヒロインで、トランス状態になったり、ヒステリー性の発作に襲われることがしばしばで、映画の中で、どれが現実のイシドールで、どれが夢や幻想なのか全く区別できない。イシドールの性向には、フロイトが提唱した「家族空想」の概念を当てはめる分析もある。それには孤児院で育ち、恋人と引き裂かれ、お手伝いさんから養女・愛人になった複雑な生い立ちが絡んでいる。そのイシドールと対峙するのがメルヴィル演じるマロ。しかし、その名前が使われるのは111分の映画の59分目なので(しかも、主要な出番は54分目で終わる)、ここでは“少年”と標記する。この少年が一番の曲者で、超現実の存在である(つまり、現実には存在しないのだが、幻想の中では実在する)。そして、この少年は、特異な精神構造のイシドールを、絶対的かつ支配的に利用する。この少年については、ユング心理学の個性化過程における幼児元型「永遠の少年」の反映が見られるとの分析もある。「永遠の少年」よは、死と再生をつかさどる児童神で、ニーチェの提唱する「永劫回帰」を体現しているとも。映画の中でも、少年は「ドン・セバスチャン」、英語圏でのピーター・パンのような存在だとの台詞がある。外観は少年でも、実際は、イシドールに子孫を孕ませられるような齢を重ねた永遠の存在なのだ。

メルヴィル・プポーの役は、実は恐ろしい限りなのだが、本人は実に可愛く、清純な天使そのものである。しかし、実際の行動はきわめて残酷である。それは、よくあるオカルト映画の残酷さではなく、きわめてシュールレアリズム的な、美しい残酷さだ。映画がこれほど難解でなかったら、もう少し多くの人が見て、メルヴィルの美しさを堪能できるのに、残念なことだ。


あらすじ

映画は、2人の夫婦と、妻とさほど年の違わない“養女”のイシドールが、海岸の家で過ごしている場面から始まる。このシーンは現実だと思われる。窓辺に座り、「愛は決して遮られない。あなたとは別れたくない。あなたと私は一心同体。あなたの香りが広がる。死者のミサ中の蝋燭のように、墓場の風のように」と口ずさむイシドール。何かというと独り言を口ずさむのが彼女の癖なのだ。この部分は、かつてのフィアンセに向けられた言葉だと後から分かる。海に面したテラスでは、テーブルの上に白い球が。夫の指示に従って“従順”に撥ねる。この球は、修道院から従順についてきたイシドールを象徴しているのかもしれない(違うかも)。
  
  

その後、一家は海岸から離れた家に移動する。わざと狭い窓から荷物を投げ入れ、「泥棒のように、第二次大戦の難民のように、ナポレオン傘下の混乱した軍隊のように、悪夢の中のドリアン・グレーのように」と言いながら窓から入り込むあたりは現実とは思えない。その非現実の中で、死んだ9才の息子の魂を呼び出そうとする3人。何かが呼び出された気配。そこに訪れる、2人の兵士。行方不明の少年の捜査に来たのだ。妻はいきなり大尉にキスをする。そして、見せられた写真の少年が、先ほどの降霊術で垣間見た姿だったと言い訳をする。大尉は、そのキスマークが「海賊の島」を象徴するものだと言い、さらに少年の捜査にも関連があると言う。
  
  

イシドールが養父からもらった3000フランのお金を見つけた養母は、「二度としないように」と言う。このことは、養父とイシドールの間に何らかの性的関係があることを示唆している。手に持った包丁で、怒りに任せてドアを何度も突き刺し、カーテンを裂くイシドール。これは養父への怒りの表現か。そして、包丁を手に洋服を刺し貫くと、その奥に少年がいた。衝撃的な構図。包丁が真っ直ぐ少年に向けられている。包丁を床に落とすイシドール。「誰なの?」。「みなしご」(実際には違う。孤児なのはイシドールの方)。「ここで、何してるの?」。「隠れてる」。「じゃあ、さっき探してた子なのね。彼ら、まだ近くにいる。さっき、来たから」。「知らないとでも?」。「怖くない?」。「怖がってどうするの? 前は気にしたけど、今は平気」。「また来るかもよ」。「いいさ」。「勇気のある坊やなのね」と話し込む。一瞬、この少年はイシドールの空想・妄念が作り出したものと誤解しがちだが、実際は、映画の中に実在する「永遠の少年」で、イシドールに幻覚を見せているのだ。
  
  

イシドールがベッドで寝ている。少年の顔が突然光で輝き、顔に光の粒が残る。そして、イシドールのことを「遠くに行ってる。とっても」と表現し、「イシドール」と呼びかける。さらなる行動を命じたのだ。そして少年は、壁の中に消える。次に現れる極彩色の海のシーン。そのシーンが象徴しているように、翌日、イシドールは、夢遊病のように海に入っていき、そこで女たらしの漁師と運命的に出会う。口説かれるが無視するイシドール。
  
  

次が重要なシーン。イシドールが、長く使われていなかった部屋の窓を開ける。家具にはすべて白い布がかかっている。彼女は床に光る物を見つけ、拾って左手の薬指にはめる(婚約指輪と同じ行為)。すると、いきなり目の前の一段と高い布の上に、あの少年が出現。「ここで、何してるの?」。「食べてる」。「何を?」。「にんにく」。「なぜ、家に帰らないの?」。「帰って欲しいの?」。「家族といるべきよ」。「家族? 考えたこともない」。「さあ、家に連れて行くわよ」。「やったら?」と言って白い布に隠れる。
  
  

「連れて帰るわよ」。「一緒に?」。「ええ」。「驚くよ、すごく」。「なぜ?」と訊かれ笑う少年。「訊いていい?」。「どうぞ」。「僕の口にキスしてもらえる?」。「いいえ」。「子供だから?」。「指輪ありがとう」。「いいんだ。僕たち婚約したから」。そして、すごく素敵に笑う。これは重要な場面だ。この少年の姿をした永遠の存在は、ここでイシドールをかりそめの妻としようと決心した。その契りとしての指輪なのだ。
  
  
  

次に重要なのは、イシドールは部屋で養父に新聞を読むシーン。「恐ろしくショッキングな犯罪が、サン・セバスチャンの町を震撼させた」という記事だ。夫婦、夫の兄の退役大佐、祖母、4才の双子の娘と13才の娘が切り刻まれて殺され、10才の少年が行方不明だという。少年が、犯人に誘拐されたのかどうかは不明だ。イシドールが読んでいると、また洋服の隙間から少年が現われる。そして、いきなり横に座る。肩に腕をやり、「僕のフィアンセ」と囁く。その後突然、「覚えてないんだ。ぜんぜん」。「どうして、こんなことを?」。「分からない。知らないんだ」。ここで少年の斜めのアップの顔。目が特殊レンズで星型に光る。イシドール:「ひょっとして、嫌いだったの?」。少年:「そう思う?」。「憎んでたのよ。殴られたから。ううん、無視されたから」。「そうかも」。「あなたの、黄金の心が 理解できなかったのよ」。少年は、「黄金…」と微笑む。「黄金は大好き。宝石も」と言って、フランス式ランドセルから山ほどの宝石を取り出す。その中から金のネックレスを選び、「女王だ」と言ってイシドールの首にかける。
  
  

少年は、「ある年齢から、人間って頭がかたくなる」と言う。イシドールは、「そうよ、でも彼らには、そのことが分からないの。死んで当たり前。だから、手助けしたのね?」。この時の少年の横顔は、最高に可愛い。ただ、この会話、イシドールは、少年が大量殺人鬼だと思い、何とか庇おうとしているが、実際には大量殺人鬼はこの少年ではない。
  

ここで、少年がイシドールの包丁を目にかざす。「これ、君のナイフ。きれいだね」。「気持ち分かるわ。人間って醜いの」。「真っ赤?」。「醜くて、過激」(“rouge”には赤いと、過激の意味がある。イシドールには、少年が「赤」と言った意味が分からない)。そして、部屋で寝ている養父を指して、「死んだみたいに 眠ってる。でも、中は血でいっぱい」と言う。少年は「血で? 違う。ただの水袋だよ」。そして、「ナイフで遊んでいい?」と訊く。止めるイシドールの頬にキスすると、養父に近付き、左の頚動脈を切る。「やったの?」。「どう思う?」。抱き合って喜ぶ2人。
  
  

「できる早く ここを出ないと」とイシドール。「海賊の島へ?」と少年。ガラスを伝って流れ落ちる血を見ながら、「見て、流れてる」。そして、「紙、持ってる?」と訊く。床に出来た血だまりに、紙幣を折って作った紙の舟を浮かべ、火を点ける少年。「お札が血に触れると、輝くんだ、すぐに」。シュールレアリズムそのものだ。
  
  

2人が向かったのは、かつてイシドールが袖にした漁師の家。彼女を見てセックスができると勘違いして喜ぶ漁師。しかし、2人の会話はどんどん変な方向へ。「お前は俺のフィアンセだ」。「違う、フィアンセはくれたわ、宝石を」。「みせろ。それ金か? 本物だな。どこで見つけた?」。「フィアンセから」。「フィアンセとやらは、どこにいる?」。「ここよ」。そして、「僕だ」と少年が現れる。バカにして笑う漁師。ところが少年も笑っている。「何を笑っとる?」。「あなたが、真っ青だから」。「何でこんな白い?」。「失っているもののため」。実は、少年がカミソリで漁師を去勢し、どんどん血が失われているのだ。
  
  

「カミソリが巧いな」。「そうなんです」。「それで、俺を片付けに来たのか」。「そうです」。漁師は「去勢されて生きてたくない」と言って鉄砲で自殺する。床に流れた血の中にある漁師の肉片を指して「見て、島だ」という少年(血の中に黒く手の影が映っている)。このシーン、イシドールが「永遠の少年」の心理的支配下で、養父だけでなく漁師も実際に惨殺したと思われる。
  
  

2人は、沖合いの島へボートで向かう。ここから映像が赤っぽく変わる(あまり赤くて見づらいので、下の写真では赤のトーンを下げている)。ここから43分続く島のシーンは、すべてイシドールの意識の中で起こったできごとで、現実ではない。冒頭は、2人が岸辺に着いた場面。少年の様子が変なので、イシドールが「どうしたの?」と訊く。「別に」。「別にって?」。「どうやって、厄介払いしようかと」。「こんなに尽くしたのに、捨てる気なの? 理由くらい聞かせてよ。フィアンセなんでしょ?」。「僕の家族は、あんたが嫌いだ。だから、結婚しちゃいけないって」。「家族?」。「全員 殺したくせに」。「そう思う? 覚えてないよ」。「あんた、誰?」。「当てて」と不思議な笑い方をすると、少年はさっと消えて行った。つまり、これから、イシドールが島で体験することは、すべて少年によってコントロールされた“意識改造の儀式”としての幻影なのだ。
  
  

島でのイシドールの体験は、メルヴィル・プポーが出て来ないので省略する。簡単に要約すると、島にいる唯一別の存在はトビーという男性。少年が去ってイシドールが嘆いていると、突然トビーに襲われ、気が付くと鎖で縛られ牢獄に入れられている。翌日は、トビーがいろいろな話をする。その中で、私以外、殺された家族全員がお前を憎んでいると言う。次は、イシドールが自分の生い立ちを語る重要なシーン。この内容は、事実だと思われる。孤児院で育ち、逃げ出してパリで娼婦となり、見初められて結婚に漕ぎ付けるが、式の最中に娼婦時代に寝た学生に暴露されフィアンセは自殺。修道院に入るが、今の養父に強引に連れ出され、彼は別の女性と結婚、彼女は女中としてそこに残り、やがて養女になったという話だ。次の主要シーンでは、トビーがイシドールのベッドの下に麻痺して横たわり、自分が“未亡人”だと思っている。そして、次には屋外で、いろいろな人物になりきっている。次に、トビーはイシドールを最大級の敬意をもって遇すると言い出す(まだ自分が女性だと思っている)。行き着く先は、(トビーが)女性の身でありながら、イシドールを愛していると打ち明けるシーン。しかし、2人で食卓について、トビーが「結婚式が終わったら、私の城は君のものだ」と言う場面では、男性に戻っている。そして秘密の花園で2人はキスを交わす。さらに、記憶を失ったトビーに、イシドールがあなたはきっとこんな人ね、と話すシーンもある。最後は、多重人格化したトビーに嫌気がさして城を抜け出し、海岸まで逃げてくると、少年と出会う(映像も、赤偏色、普通色、白黒と使い分けている)。
  
  

海岸の岩場に、なぜか置かれた家具。イシドール:「まあ、生きてたのね」。少年:「島の海岸を 歩き回ってたよね」「それから、こっちに」「他に途はないしね」とクールに答える。棚に乗ったお酒やラジオを見ながら、「これ、用意してくれたのね」。「漁師に感謝してよ」(去勢した男の持ち物)。「天国ね」。「そうかも」。
  
  

少年に「何してたの?」と訊かれ、イシドールが城であったことを話す。画面は白黒に変わり、少年が新聞を読んでいる。せっかく話してるのに新聞なんて読んで、と咎めた後で、「よほど、気に入ってるのね」。「すごくね。犯罪記事だよ。僕、好きなんだ」。それは、例の新聞だった。しかし、新聞は10年前のもの。ということは、少年が犯人のはずがない。「じゃあ、誰が殺したの?」。「当てて」。そして、少年は「イシ・ドール」と節をつけて呼び、「僕の鏡で、見たんじゃなかった? つまり、知ってるんだ」。そしてまた、「イシドール」と囁く。「来て、イシドール、ほら」。少年が手に掲げた鏡の中に見えたのは、手で顔を隠したトビーなのか?
  
  

事実(?)を知ったイシドールは、トビーを探し当てる。しかし、そこにいた男は、「トビーはいない。妹の墓地にいる」。「あんた、誰よ?」。「知らんな」。「私たち、ここで何してるの?」。「何も」。「私たちどうすればいいの?」。「何も。何も。何も」。怒ったイシドールは、トビーを包丁で刺す。
  

それを見た、少年が岩の上から小石を投げてくる。「ここで何してるのよ?」。「待ってた」。「私がトビーを殺すのを?」。「そう」。「満足した?」。「とっても」。「何てこと」。「君は、出てくんだ」。「でも、どうしていいか、分からない」。「でも…」。ここで少年が「出てけ!!」と叫ぶが、声は怪物じみた大人の声に変わっている。この声こそ、彼の本来の姿なのだ。
  
  

場面は、刑務所の面会室。イシドールを最初に尋ねたのは、養母。「許して下さるの?」とイシドール。「それ以上よ」「あの世から、あなたの父が済まないと伝言を」。結局、イシドールは養父を殺したが、その前から養父に性的関係を強いられていたのだ。次に面会に来たのは、最初に登場した2人の兵士。大尉の方が、「我々は、人生の意味を見つけました」と言い出す。そして、「あなたを島に導いた素晴らしい少年は、我らが預言者ドン・セバスチャン」「イギリスではピーター・パン、ロシアではミハイル・ストロゴフ(皇帝の密使)…」と続け、「彼は10年ごとに現われ、楽しみながら家族を殺します。如何に死ぬかも教えますが、もっと重要なのは、如何に殺すかを教えます」。最後に、「どこに、ドン・セバスチャンがいるかご存知ですか?」と訊き、「知りません」と答えると、「そこにいるのです」とイシドールの妊娠したお腹を指差す。大尉が脱いだ帽子の裏には、十字架を握った少年の写真が。
  
  

8才程度に育ったわが子を連れて島に渡ったイシドール。少年は不具者のように見える。「ほら、父さんだよ」。石を積んで作られた祭壇の上には、「永遠の少年」の写真が飾られている。このシーンの直後、母は、息子が足で蹴り落とした石で殺されてしまう。…とこう説明してきても、何かすっきりしない。要は、スペインのシュールレアリズムの巨匠ダリの絵を見るようなつもりで、おどろおどろしい、意味不明の映像に見とれていればいいのだ。理屈抜きで。
  
  

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